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2008年05月21日
今日は、
親鸞聖人(しんらんしょうにん)のお誕生の日。
承安3年(1173年)の5月21日に、
親鸞聖人は京都で生まれられました。
今から835年前ですね・・・
(でもよく考えたら、
祖母の生まれたのは今から約100年前・・・(汗))
親鸞聖人を尊敬する人は大変多く、
私も好きな作家・井上靖氏は、
「人類が今日ほど親鸞聖人を必要としている秋(とき)はない」
と言い切っています。
氏が、
「親鸞聖人について最初に感動したのは、
彼が書写した自筆本『観無量寿経註(かんむりょうじゅきょうちゅう)』を見た時である。
有り体にいって世の中には怖いものがあるものだと思った。」
と語っている『観無量寿経註』を、
私は大学にいたとき、
東京国立博物館の展覧会で見たことがあります。
『観無量寿経』を書き映し、その行間、余白はもちろん、紙面全体にわたって、黒や朱の墨で、
独特の、堅い木を鋭い刀で掻き取ったような文字で、ぎっしりと細字で、唐代高僧のお経の注釈が書き込まれています。
釈迦の説かれた仏教を、もう間違いなく伝えねばならないと、された苦労を、目の当りにするようでした。
井上靖氏は、『観無量寿経註』の復刻版を手に入れ、それをひもとく度に、襟を正さざるを得ない思いにさせられる、と言っていますが、
私も、親鸞聖人の言葉に触れて、自分の姿勢を正されます。
今日は親鸞聖人の生まれられた日ということで、
先日買った
『歎異抄をひらく』(高森顕徹著・一万年堂出版)
を読む日にしようと、決めました(^^)
(画像を入れたいんですが、著作権のこととか心配なので、リンクだけにしときました^^;)
オールカラーで、文字も大きく、最近視力が衰えてきた私にも(汗)、読みやすいです。
『歎異抄』は、
親鸞聖人の仰ったことがそのまま書かれてあり、
しかもそれが、大変な美文であるということで、
多くの人に読まれている仏教書です。
この『歎異抄をひらく』はその解説書。
どこか紹介しようとは思うのですが、
一部を抜き出すのも怖いし、
(読み込みがたりないですね(・・;))
まとめて抜き出すにも長くなりすぎるので、
同じ一万年堂出版から出ていて、
著者が監修されている、
『なぜ生きる』(高森顕徹/監修、明橋大二・伊藤健太郎/共著)
のなかから、
親鸞聖人はどんなことを教えてられたのか、
どうして私が、親鸞聖人に関心をもっているのかというところを、抜書きしてみます。。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
なぜ生きる。
人生の目的は何か。
親鸞聖人の答えは、簡潔で明快だ。
「生きる目的は、金でもなければ財でもない。名誉でもなければ地位でもない。人生苦悩の根元を断ち切られ、よくぞ人間に生まれたものぞ≠ニ生命の大歓喜(だいかんぎ)を得て、未来永遠の幸福に生きること」である。
これを「摂取不捨の利益(せっしゅふしゃのりやく)」を得る」とも「無碍の一道(むげのいちどう)」ともいわれている。
「よろこばしきかな」で始まり、「よろこばしきかな」で終わる『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』の、ピンピン輝く生命の歓喜は、この目的を達成した聖人の、熱火の法悦(ほうえつ)である。
「なぜ人を殺してはいけないのか」の問いに、大人たちはギクリとたじろいだ。大人も子供も不幸なのは、生きる喜びを感じられないところにある。
「人生に意味はあるのか」
「苦しくとも生きる価値があるのか」
人類は混迷の度を深めている。
そんな中、なんと生きるとは素晴らしいことなのか‥‥‥$e鸞聖人は、高らかに叫びあげられる。こんな生命の尊厳さを知れば、臓器移植までしてなぜ生きるのか、なぜ自殺してはならぬのか、なぜ人命は地球よりも重いのか、人間存在の疑団(ぎだん)が氷解し、諸問題の解決に、たくましく前進できるのではなかろうか。
当然、その道程も説かれてはいるが、本書は特に聖人の、人生の目的に視点を置いたので、そこまで述べるゆとりはなかった。ご諒承願いたい。
ただ、一言触れるとするならば、真の人生の目的を知ったとき、一切の悩みも苦しみも意味を持ち、それに向かって生きるとき、すべての努力は報われるということだ。
(『なぜ生きる』あとがき)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「人生の目的」なんていうと、
いろんな風に感じる人がいると思いますが、
私が小さいときからずっと抱いていた疑問に、
答えてくれたのが、親鸞聖人でした。
どんなにたくさんのことを知り、
いろんなものに恵まれ、
たとえ人から誉められるような人生を送れたとしても、
(もちろんこれも目の色変えて大事にしてますが)
なぜ生きる、
どんなに苦しくても自殺してはいけないのはなぜか
っていうことが分からなければ、
自分の人生のどれほどの意味があるといえるのか、
と、むなしく感じられてしまいます。
「人命は地球より重い」って、心の底から言えない自分に、ずっと疑問を持ち続けていました。
ですから、ヘンな言い方かもしれませんが、
ようこそ親鸞聖人がおってくださった、と思ってしまいます。
そんなことで、今日は少し、こんな記事をかいてみました。。。。
「べらべらしゃべってないで、作品で語れ」って、言われそうですが、次回からは、
おとなしく(?)彫刻のこと、美術のこと、かいていきます。
親鸞聖人(しんらんしょうにん)のお誕生の日。
承安3年(1173年)の5月21日に、
親鸞聖人は京都で生まれられました。
今から835年前ですね・・・
(でもよく考えたら、
祖母の生まれたのは今から約100年前・・・(汗))
親鸞聖人を尊敬する人は大変多く、
私も好きな作家・井上靖氏は、
「人類が今日ほど親鸞聖人を必要としている秋(とき)はない」
と言い切っています。
氏が、
「親鸞聖人について最初に感動したのは、
彼が書写した自筆本『観無量寿経註(かんむりょうじゅきょうちゅう)』を見た時である。
有り体にいって世の中には怖いものがあるものだと思った。」
と語っている『観無量寿経註』を、
私は大学にいたとき、
東京国立博物館の展覧会で見たことがあります。
『観無量寿経』を書き映し、その行間、余白はもちろん、紙面全体にわたって、黒や朱の墨で、
独特の、堅い木を鋭い刀で掻き取ったような文字で、ぎっしりと細字で、唐代高僧のお経の注釈が書き込まれています。
釈迦の説かれた仏教を、もう間違いなく伝えねばならないと、された苦労を、目の当りにするようでした。
井上靖氏は、『観無量寿経註』の復刻版を手に入れ、それをひもとく度に、襟を正さざるを得ない思いにさせられる、と言っていますが、
私も、親鸞聖人の言葉に触れて、自分の姿勢を正されます。
今日は親鸞聖人の生まれられた日ということで、
先日買った
『歎異抄をひらく』(高森顕徹著・一万年堂出版)
を読む日にしようと、決めました(^^)
(画像を入れたいんですが、著作権のこととか心配なので、リンクだけにしときました^^;)
オールカラーで、文字も大きく、最近視力が衰えてきた私にも(汗)、読みやすいです。
『歎異抄』は、
親鸞聖人の仰ったことがそのまま書かれてあり、
しかもそれが、大変な美文であるということで、
多くの人に読まれている仏教書です。
この『歎異抄をひらく』はその解説書。
どこか紹介しようとは思うのですが、
一部を抜き出すのも怖いし、
(読み込みがたりないですね(・・;))
まとめて抜き出すにも長くなりすぎるので、
同じ一万年堂出版から出ていて、
著者が監修されている、
『なぜ生きる』(高森顕徹/監修、明橋大二・伊藤健太郎/共著)
のなかから、
親鸞聖人はどんなことを教えてられたのか、
どうして私が、親鸞聖人に関心をもっているのかというところを、抜書きしてみます。。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
なぜ生きる。
人生の目的は何か。
親鸞聖人の答えは、簡潔で明快だ。
「生きる目的は、金でもなければ財でもない。名誉でもなければ地位でもない。人生苦悩の根元を断ち切られ、よくぞ人間に生まれたものぞ≠ニ生命の大歓喜(だいかんぎ)を得て、未来永遠の幸福に生きること」である。
これを「摂取不捨の利益(せっしゅふしゃのりやく)」を得る」とも「無碍の一道(むげのいちどう)」ともいわれている。
「よろこばしきかな」で始まり、「よろこばしきかな」で終わる『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』の、ピンピン輝く生命の歓喜は、この目的を達成した聖人の、熱火の法悦(ほうえつ)である。
「なぜ人を殺してはいけないのか」の問いに、大人たちはギクリとたじろいだ。大人も子供も不幸なのは、生きる喜びを感じられないところにある。
「人生に意味はあるのか」
「苦しくとも生きる価値があるのか」
人類は混迷の度を深めている。
そんな中、なんと生きるとは素晴らしいことなのか‥‥‥$e鸞聖人は、高らかに叫びあげられる。こんな生命の尊厳さを知れば、臓器移植までしてなぜ生きるのか、なぜ自殺してはならぬのか、なぜ人命は地球よりも重いのか、人間存在の疑団(ぎだん)が氷解し、諸問題の解決に、たくましく前進できるのではなかろうか。
当然、その道程も説かれてはいるが、本書は特に聖人の、人生の目的に視点を置いたので、そこまで述べるゆとりはなかった。ご諒承願いたい。
ただ、一言触れるとするならば、真の人生の目的を知ったとき、一切の悩みも苦しみも意味を持ち、それに向かって生きるとき、すべての努力は報われるということだ。
(『なぜ生きる』あとがき)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「人生の目的」なんていうと、
いろんな風に感じる人がいると思いますが、
私が小さいときからずっと抱いていた疑問に、
答えてくれたのが、親鸞聖人でした。
どんなにたくさんのことを知り、
いろんなものに恵まれ、
たとえ人から誉められるような人生を送れたとしても、
(もちろんこれも目の色変えて大事にしてますが)
なぜ生きる、
どんなに苦しくても自殺してはいけないのはなぜか
っていうことが分からなければ、
自分の人生のどれほどの意味があるといえるのか、
と、むなしく感じられてしまいます。
「人命は地球より重い」って、心の底から言えない自分に、ずっと疑問を持ち続けていました。
ですから、ヘンな言い方かもしれませんが、
ようこそ親鸞聖人がおってくださった、と思ってしまいます。
そんなことで、今日は少し、こんな記事をかいてみました。。。。
「べらべらしゃべってないで、作品で語れ」って、言われそうですが、次回からは、
おとなしく(?)彫刻のこと、美術のこと、かいていきます。
2008年04月18日
今年も上畠アートが開催される予定です。
昨年が第一回でしたが、私にも声をかけていただいて、参加しました。

去年の様子です。
利賀の、上畠(うえはたけ・うわばたけ)地区は、北日本新聞の[夕陽を織る]のコーナーでも何度も取り上げられている、人生のベテランの方が多い地域です。
その上畠地区のお父さん・お母さんがたが、
「やろまいか」と声を上げて始められたのが、
「上畠アート」というイベントです。
私は、一参加者ですから、詳しいことはいえませんが、
去年参加して、地域の方が、大変エネルギーを注いで、このイベントを進めていられるのが伝わってきて、とても刺激を受けました。
上畠の、伝統的な住居を展示場所として、
富山で活躍されている作家の方がたくさん出品されていました。
とりあえず、私と同じところで展示されていたひとをあげると、(五十音順)
最近、西田美術館でも展覧会をされていた
小路口力恵(しょうじぐちりきえ)さん。
ガラスの作家で、その後も作品を見せていただくことがありましたが、繊細で淡い光の変化が印象的な、
素敵な作家のかたです。
続いて、
各地でコンスタントに展覧会をされている焼き物の作家の
古川歩(ふるかわあゆむ)さん。
古川さんもその後、意識的に作品を見せていただいていますが、私の印象としては、土のかたちや、釉薬の色から、古川さんの感じている土の匂いが伝わってきそうな感じを受けます。
このお二人と展示させていただいて、勉強になりました。
今年は、
つくば大学の友人に、「上畠アート」のことを話したところ、大変乗り気で、現在進行中です。
学生ですが、
いわゆる現代アートをやっているひとで、
絵画や彫刻のように、
そのもの自体で成立するものと違って、
展示される空間が、作品にとって、
重要な意味を持つ制作を続けているひとです。
悩みながらも、美術に対して真摯に向き合おうという姿勢が、注目せんことにはおれんひとです。
どんな展示になるのか、自分がいちばん楽しみにしているところです。
上畠アートの期間ですが、
「利賀フェスティバル」と同じくらいの期間だと聞いていますが、正式な発表はまだです。
また、正式な発表があって、ご確認のうえ、見にきてください。
昨年が第一回でしたが、私にも声をかけていただいて、参加しました。
去年の様子です。
利賀の、上畠(うえはたけ・うわばたけ)地区は、北日本新聞の[夕陽を織る]のコーナーでも何度も取り上げられている、人生のベテランの方が多い地域です。
その上畠地区のお父さん・お母さんがたが、
「やろまいか」と声を上げて始められたのが、
「上畠アート」というイベントです。
私は、一参加者ですから、詳しいことはいえませんが、
去年参加して、地域の方が、大変エネルギーを注いで、このイベントを進めていられるのが伝わってきて、とても刺激を受けました。
上畠の、伝統的な住居を展示場所として、
富山で活躍されている作家の方がたくさん出品されていました。
とりあえず、私と同じところで展示されていたひとをあげると、(五十音順)
最近、西田美術館でも展覧会をされていた
小路口力恵(しょうじぐちりきえ)さん。
ガラスの作家で、その後も作品を見せていただくことがありましたが、繊細で淡い光の変化が印象的な、
素敵な作家のかたです。
続いて、
各地でコンスタントに展覧会をされている焼き物の作家の
古川歩(ふるかわあゆむ)さん。
古川さんもその後、意識的に作品を見せていただいていますが、私の印象としては、土のかたちや、釉薬の色から、古川さんの感じている土の匂いが伝わってきそうな感じを受けます。
このお二人と展示させていただいて、勉強になりました。
今年は、
つくば大学の友人に、「上畠アート」のことを話したところ、大変乗り気で、現在進行中です。
学生ですが、
いわゆる現代アートをやっているひとで、
絵画や彫刻のように、
そのもの自体で成立するものと違って、
展示される空間が、作品にとって、
重要な意味を持つ制作を続けているひとです。
悩みながらも、美術に対して真摯に向き合おうという姿勢が、注目せんことにはおれんひとです。
どんな展示になるのか、自分がいちばん楽しみにしているところです。
上畠アートの期間ですが、
「利賀フェスティバル」と同じくらいの期間だと聞いていますが、正式な発表はまだです。
また、正式な発表があって、ご確認のうえ、見にきてください。
2008年04月07日
各地でソメイヨシノの開花宣言が聞かれるようになりました。
山にはソメイヨシノがほとんどないので、新年度に桜というイメージはほとんどありませんでした。
ですが今年、うちにソメイヨシノがきました。

母の一輪挿しです。
職場の近くに落ちていた、枝を拾ってきたらしいです。
母は別にいけばなが得意とかではないのですが、
器といい、バランスが、とても素敵だなと思って、思わず写真に撮りました。
(とはいっても、自分はいけばなのことほとんど知らないのですが・・・)
いけばなといえば、先日知人に誘われて、いけばなの展示会に、はじめて行きました。
いけばなというと、自分とは縁遠い、敷居の高いものかと思っていましたが、
食わず嫌いという言葉もあるように、
一回触れてみると、意外に好きだったっていうことがあります。
とっても素敵な「作品」がたくさんありました。
いろんなもの、先入観で判断せずに、自分で確かめてみていきたいなあと思います。
山にはソメイヨシノがほとんどないので、新年度に桜というイメージはほとんどありませんでした。
ですが今年、うちにソメイヨシノがきました。
母の一輪挿しです。
職場の近くに落ちていた、枝を拾ってきたらしいです。
母は別にいけばなが得意とかではないのですが、
器といい、バランスが、とても素敵だなと思って、思わず写真に撮りました。
(とはいっても、自分はいけばなのことほとんど知らないのですが・・・)
いけばなといえば、先日知人に誘われて、いけばなの展示会に、はじめて行きました。
いけばなというと、自分とは縁遠い、敷居の高いものかと思っていましたが、
食わず嫌いという言葉もあるように、
一回触れてみると、意外に好きだったっていうことがあります。
とっても素敵な「作品」がたくさんありました。
いろんなもの、先入観で判断せずに、自分で確かめてみていきたいなあと思います。
2008年04月05日
皆さんコメント有り難うございます!!!m(__)m

美術のことを、そろそろ書こうかと思います。
いざ書こうとすると、ちょっと怖くなります。
小さいときから利賀フェステイバルにつれていってもらって、年に、1、2回、演劇を見せてもらっていました。
それは自分にとって、とても貴重な体験だったと思います。
というのは、
彫刻を志したはいいものの、私は立体的にものを捉えるということがとても苦手で、
そもそも、「重量感」とか、「ボリューム」とか、彫刻のキーワードがいろいろありますが、その意味が分からなかったのです。
西洋のひとは、小さなときから彫刻などの立体表現に囲まれて育つので、子供でも立体的な把握が得意だということを聞いたことがあります。
ですが、それも、内的な身体感覚という点から、
「重量感」「ボリューム」ということを理解していくことができました。
身体表現に対する関心は強くありましたが、
東京にでたときも、
SCOTの前身は、「早稲田小劇場」ときいていたので、
「小劇場なるものを見てみたい」と、
演劇雑誌をよくたち読みしていました。
そこでおどろいたのは、いたるところに、
「利賀での〜は・・・」
「今度利賀で・・・」
と、とがとがとがとが、いっぱい書かれていて、
びっくりしました。
演劇界では利賀はとてもメジャーなんですね。
それで、いよいよ神楽坂(早稲田の近くです)の、神楽坂die pratzeをみつけて、何度かいきました。
そこでみたのは演劇ではなく、いわゆる「身体表現」といわれるものでいたが、50人入れるかどうかという観客席の、すぐ目の前で、いろいろやるんですね。
下手したらけられてしまうし、口からでたものも、当たり前のようにかかってしまいます。
が、生の人間が変な動きをしたり、変な声をだすのは、なかなかクセになりそうな、楽しい時間です。
ただ、いつも思うのは、演劇関係者って、一目見てそれと分かるような雰囲気を漂わせています。
立ち姿からすごくかっこいいです。。
それに、
会場前に、外でたくさんのひとが待っているのですが、そこでされる会話も、すごく専門的で、
このひとたちの見ているものと、素人の自分と、見ているものはずいぶん違うのかなあ、と
場違いな感じをよく受けました。
ですが、懲りずに足を運んでいました。
あくまで私の思いですが、芸術作品を見るときには、自分の内的な感覚に、気を配りながら見るのも、作品を理解する、一つの方法だと思います。
先に書いた「ケーテ・コルヴィッツ」も、そうやってみてると、痛みさえ感じるような、鋭い制作をしている作家だと、思います。
あ、演劇って、美術でいいんでしたっけ(。。)m

美術のことを、そろそろ書こうかと思います。
いざ書こうとすると、ちょっと怖くなります。
小さいときから利賀フェステイバルにつれていってもらって、年に、1、2回、演劇を見せてもらっていました。
それは自分にとって、とても貴重な体験だったと思います。
というのは、
彫刻を志したはいいものの、私は立体的にものを捉えるということがとても苦手で、
そもそも、「重量感」とか、「ボリューム」とか、彫刻のキーワードがいろいろありますが、その意味が分からなかったのです。
西洋のひとは、小さなときから彫刻などの立体表現に囲まれて育つので、子供でも立体的な把握が得意だということを聞いたことがあります。
ですが、それも、内的な身体感覚という点から、
「重量感」「ボリューム」ということを理解していくことができました。
身体表現に対する関心は強くありましたが、
東京にでたときも、
SCOTの前身は、「早稲田小劇場」ときいていたので、
「小劇場なるものを見てみたい」と、
演劇雑誌をよくたち読みしていました。
そこでおどろいたのは、いたるところに、
「利賀での〜は・・・」
「今度利賀で・・・」
と、とがとがとがとが、いっぱい書かれていて、
びっくりしました。
演劇界では利賀はとてもメジャーなんですね。
それで、いよいよ神楽坂(早稲田の近くです)の、神楽坂die pratzeをみつけて、何度かいきました。
そこでみたのは演劇ではなく、いわゆる「身体表現」といわれるものでいたが、50人入れるかどうかという観客席の、すぐ目の前で、いろいろやるんですね。
下手したらけられてしまうし、口からでたものも、当たり前のようにかかってしまいます。
が、生の人間が変な動きをしたり、変な声をだすのは、なかなかクセになりそうな、楽しい時間です。
ただ、いつも思うのは、演劇関係者って、一目見てそれと分かるような雰囲気を漂わせています。
立ち姿からすごくかっこいいです。。
それに、
会場前に、外でたくさんのひとが待っているのですが、そこでされる会話も、すごく専門的で、
このひとたちの見ているものと、素人の自分と、見ているものはずいぶん違うのかなあ、と
場違いな感じをよく受けました。
ですが、懲りずに足を運んでいました。
あくまで私の思いですが、芸術作品を見るときには、自分の内的な感覚に、気を配りながら見るのも、作品を理解する、一つの方法だと思います。
先に書いた「ケーテ・コルヴィッツ」も、そうやってみてると、痛みさえ感じるような、鋭い制作をしている作家だと、思います。
あ、演劇って、美術でいいんでしたっけ(。。)m
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プロフィール

昨年から富山に帰って彫刻をしている。いろんな仕事をしながら、(?)制作にいそしんでいる。大きな石が彫りたい。。
作者名平田昌輝
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