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2009年07月01日
北日本新聞に、「心のかたち」というコラムがあり、南砺市の住職さんが定期的に記事を書いておられます。

文化欄のとなりということもあり、目を通しているのですが、今日の記事をみて、ある思いがしました。

<以下内容>
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浄土真宗の歴史の中では、「聴聞」という言葉がとても大切にされてきた。蓮如さんは、

「仏法は聴聞にきわまることなり」と端的に語っているが、その直前の言葉がとても味わい深い。

『いたりてかたきは、石なり。いたりてやわらかなるは、水なり。水、よく石をうがつ』
(蓮如上人御一代記聞書193)

不十分ながら現代語訳をしてみると、「この世で硬いものと言えば石だ。そして,いたって柔らかいものと言えば水だろう。しかし、軒下の石をみてごらん。長い年月の間には、硬いはずの石が屋根から落ちるしずくで穴をあけられているではないか。

石のようにかたくなな私たち人間の心も、柔らかな仏法のことばを繰り返し聞いているうちに、気がついたら自我の心が崩されていくのだ」となるだろうか。

古希を過ぎたくらいの方々は、祖父母や両親の口から、「聴聞せんなだちゃかんぞ」という言葉を聞かされたのではないだろうか。

「私たちの心はかたくななものだが、仏様のこころを聞かしてもらっていると、いつのまにか崩されて開かれていくのだ。これが人間には、大切なことだよ」と、
愛する者に伝えずにおれなかった祖先の言葉だ。
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住職さんの人柄がしのばれる、やわらかな、とても平易な言葉なのですが、その内容が、これでいいのかと大きな疑問を抱かせるものでした。

解釈の仕方は、人それぞれ、自由だとしても、
親鸞聖人の言葉に根拠がなければ浄土真宗にはなりません。

このことについて、
あるブログに、このような記事がありました。

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この住職さんの現代語訳につきまして、

石  私たち人間の心とはどんな心ですか? 
石とは、私の逆謗の屍ときかせて頂いておま
すが。

水 柔らかな仏法のことば? 
仏法のことばは、どこにでも流れていく水な
のですか。
私達の聴だときかせて頂いておりますが。

気がついたら自我の心が崩される? 
聞即信の一念で,ハッキリするのではないですか。



「聞」と言うは、衆生、仏願の生起・本末を
聞きて疑心有ること無し。これを「聞」と曰う
なり。             (親鸞聖人)



親鸞聖人のみ教え を正確に伝えて下さった
蓮如上人と縁(ゆかり)の深い南砺の地で、
「仏法は聴聞にきわまることなり」の
正しい御心を精一杯お伝えしたいと思います。
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仏教専門の言葉が多いですが、
聴聞が一番大事であることと、
ハッキリするのか、しないのか、
親鸞聖人のお言葉から、はっきりと明らかにされていることが分かります。

真宗王国の南砺に生まれ育って、
よく浄土真宗の教えをまなばなければと、強く思った日でした。


 




2009年06月24日


今日は祖母の白寿の誕生日で、家中大賑わいでした。
私の記憶の中では、初めての着物姿で、
なかなかのべっぴんさんでした。

昨日から、私のおじ・おばにあたる、祖母の息子、娘たちが家に集まって、昔話に花がさいていましたが、今日はなおさら、にぎわしかったです。


耳は遠いですが、時々議論もするくらい頭ははっきりとしたばあちゃんです。

元気で、生き抜いて欲しいと思います。



2009年06月17日
じょうはな織館さんで、
2009年9月5日〜23日の日程で個展をさせて頂きます。

今日はその打ち合わせをしてきて、頭がぐるぐる回っています。

このブログで、おいおい告知させていただきます。


担当のスタッフの方と話をしていると、思わぬところでつながりがあることが分かりました。

「世間は狭いね」といったりしますが、縁とは複雑なものだなと思います。

「Metamorphose」のシリーズ作品を今展示させていただいているカフェ
nowhereさん
の店長さんのお友達で、今アメリカに留学している画家であり彫刻家でもある人が、
私の大学時代の研究室の同級生とアメリカで出会っていたり。

・・・複雑です。




2009年06月09日
ブロンズなどの作品を作るようになってから、高岡の、ある仕上げ師さんと知り合いになりました。

「仕上げ師」とは、その名の通り、仕上げをする職人さんのことです。
私自身は、お願いできるような身分ではありませんが、
大変腕のいい職人さんで、私の尊敬する彫刻家のひとは、その仕上げ師さんをいつも指名で、自分の作品を任せているときいたことがあります。

たびたび相談にのってもらって、親切に教えて下さって、とても感謝しています。

その方から、
「金属加工の勉強したいならここいかれ」
と紹介されたのが、金沢にある卯辰山工芸工房(うたつやまこうげいこうぼう)でした。

そこは、すでに技能をもっている人が研究を深める場所ですので、素人の私がいきなり入ることはできないのですが、一度行って見たいと思っていました。

先日、その仕上げ師さんから、産業機械の展示会を見に誘われ、その帰りに卯辰山工芸工房にもつれていってもらいました。

陶芸、漆芸、染、金工、ガラスの工房に、それぞれ数人の研修生がいて、黙々と作業をしている姿が印象的でした。
そこは、授業料のようなものがある訳ではなく、むしろ毎月研究費を受けて、制作・作業に集中できる場と聞いてはいましたが、みなさん本当に集中して、緊張感漂う場所でした。

わたしも日々、制作を深めていきたいと思います。




2009年05月21日
先日、北日本新聞砺波支社ギャラリーで開催中の
野村修三さんの個展をみに行きました。

野村さんは、木彫で主に人体をモチーフに作品をつくっている彫刻家ですが、
ダイナミックなムーブマン(動勢)や重量感がとても魅力的で、富山県内で私が最も好きな作家の一人です。
話せばとても穏やかな方ですが、作品の、特に面の力強さをみても、厳しい姿勢で制作をされているんだろうと思います。

その後、日を改めて富山県立近代美術館に行ったところ、常設展で、
柳原義達先生の作品が展示されていました。

抑制されていながら、はちきれんばかりの量感表現や動勢に、いつも圧倒されます。

「動勢」とは、彫刻で使われる用語で、「うごき」のことです。
一般的に動きといえば、「止まっていないもの」や、ポーズといった意味で使われることが多いですが、
動勢とは、その字の通り、止まっているのに動いて見えるような形のもつ要素のことです。
ロダンの作品に顕著なように、主に、左右や前後の量のバランスに関係しているようですが、ほかにもいろんな要素が絡んでいるのかも知れません。

彫刻で、「うごき」といえば、このほかにも「ヴァイブレーション」ということもいわれます。
動勢の場合は、どちらかといえば作品の内部のことですが、こちらは、その周りの空間の動きを指すようです。


話は変わりますが、
県民会館での、大きな赤い看板の展覧会をみてきましたが、作家のみなさんはきっと素晴らしいのですが、
彫刻部の展示をみても、とても重苦しく悲しい感じを受けました。



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プロフィール
 
五箇山の彫刻家。 いろんな仕事をしつつ、 制作をしています。
作者名平田昌輝
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